日本の宇宙開発史に残るはやぶさの快挙
壮大な夜空に走った、一条の白い光。2010年6月13日22時51分、7年にわたる旅を終えた小惑星探査機・はやぶさは大気圏へと突入し、燃え尽きた。地球から約3億キロ離れた小惑星イトカワへと赴き、小惑星の物資サンプルを持ち帰るという壮大なミッションを果たしたその勇姿は、多くの人々の心に焼き付いている。
その後、持ち帰った物質サンプルの大部分が実際にイトカワのものであることが確定。小惑星の物質サンプルを持ち帰るのに成功したのは人類初であり、この快挙に世界中から賞賛の声が送られた。
この歴史に残るミッションを支えていたのが、数多くの企業の開発した技術と現場のエンジニアたちの地道な努力だ。
DAiKOもまた、軌道系システムの開発と運用を担当し、その一翼を担った1社だ。その役割は、観測したデータをもとに、はやぶさの位置や速度を推定し、それを追尾するための予測値の作成を行うというものだった。DAiKOは、この分野で様々な探査機や衛星の運用サポートを行っており、多くのノウハウを蓄積している。だが、今回のミッションには、これまでとは異なる難しさがあったと言う。
はやぶさに搭載されていた主力エンジンは、キセノンガスを利用することで長期間連続運用ができる、独自のイオンエンジン。だが、4基(実際に稼働したのは3基)のエンジンが微妙に異なる方向を向いていることや、キセノンガスを常に噴出しているため機体が微弱に振動すること、推力が算出された理論値よりも小さかったことなどが重なり、予測値作成に必要な軌道決定が通常以上に難しい状況だった。
「機体が想定外の角度になることもあり、データの収集→軌道決定・評価→予測値の算出→予測値をもとにした機体の軌道制御、そして再びデータの収集という一連の流れを来る日も来る日も繰り返し、はやぶさの航行をサポートしてきました」(DAiKO化学システム統括部宇宙システム部部長 仁田原正道)
こうした表には出ない地道な作業こそが、はやぶさを地球帰還へと導いたのだ。
はやぶさを支え続けた技術者たちの熱意
はやぶさは、その旅の途中、何度も大きなアクシデントに見舞われながらも、それを乗り越えてきた。だからこそ、満身創痍で帰還したその姿に、多くの人が心打たれたのだろう。
打ち上げ直後こそ順調な滑り出しだったものの、イオンエンジンのトラブルに始まり、リアクションホイール(姿勢制御装置)の故障、地上との交信の途絶と、様々な難題がはやぶさの身に降りかかった。地上から遠く離れた宇宙空間でのトラブルは、探査機にとって致命的な危機である。だが、はやぶさは多くの技術者たちの情熱に支えられ、地球へと帰って来た。
2005年12月9日、エンジントラブルの末に姿勢制御が不能となったはやぶさとの通信が途絶した際も、技術者たちは諦めることなく地上から信号を送り続けた。実は、惑星間で通信が途絶えた探査機が、再度、通信を回復するという例は非常にまれなことである。しかし、はやぶさには、万一、制御不能となっても一定の姿勢に戻るよう細心の設計が施されていた。時期の予測こそできないものの、理論的には交信が復活する可能性が60%あった。それを信じ、返信のない送信を続けたのだ。
だが、闇雲に広大な宇宙空間に向けて電波を送っていたわけではない。DAiKOの技術者たちは、基本となる探査機の位置情報が未確定な状態でも、持てる技術のすべてを注ぎ込み、はやぶさの位置予測を行い続けていた。そして、その予測値をもとに電波を送る方向を確定し、管制員が来る日も来る日も呼びかけを続けたのだ。
そして通信途絶から1ヶ月半が過ぎた2006年1月23日。ついに、はやぶさからの電波が地上へと届いた。弱々しいものではあったが、辛抱強く更新をくり返し、数日後には、はやぶさの正確な位置情報や体勢のデータを収集。本格的に地球帰還に向けた軌道修正がスタートした。
その後は、はやぶさが地球に近づくにつれ、軌道の誤差は徐々に小さくなっていった。そして、帰還場所はオーストラリアのウーメラ砂漠に確定した。
当時のことを、仁田原はこう振り返る。
「それまでは、サポートにかかわっているとは言え、遠い宇宙空間にいるはやぶさの存在は、どこか現実味にかけるものでした。けれど、自分たちが予測した着陸地点の誤差楕円が、日ごとに小さくなるのを確認するにつれ、はやぶさが本当に地球に帰って来るのだと、突然、現実感を伴う身近な存在に感じられるようになりました」
そうしてDAiKOが再出した予測値のもと、はやぶさは軌道修正を行い、着実に地球へ、大気圏突入のための軌道へと導かれていった。
そして2010年6月13日22時51分。運命の時がやって来た。
イトカワの物質サンプルが入ったカプセルを噴射したはやぶさは、そのカプセルに先導されるかのように大気圏へと突入。鮮やかな光芒を放ち、やがて満天の星の中で燃え尽きた。
その瞬間の映像は、テレビやインターネットを通じて、世界中の人々に届けられた。
DAiKOが、そして多くの人々が支え続けたはやぶさの旅は、こうして幕を降ろした。
はやぶさプロジェクトの成功により、日本の宇宙開発はにわかに注目を集めている。
現在運用中の衛星、今後打ち上げられる地球観測衛星、化学衛星のサポートをはじめ、DAiKOはこれからも日本の宇宙開発を支え続けていく。